動物に愛された人

動物

その町に、「動物に愛された男」がいた。

名を草野達也という。五十五歳。独身。町外れの坂を上った先にある古びた一軒家に住んでいる。人とあまり関わらず、だが誰にも嫌われることなく、静かに暮らしていた。

彼の家には、猫が五匹、犬が二匹、なぜかキツネが一匹。それだけではない。屋根の上にはフクロウが棲みつき、庭の片隅には毎朝リスが現れる。近くの川からはカモが遊びに来る。

まるで小さな動物園のようだ、と町の人たちは言う。

「草野さんとこ、また猫が増えたらしいよ」

「この前なんて、山から下りてきた鹿が庭で寝てたんだってさ」

そんな噂は絶えないが、誰も不思議とは思わなかった。なぜなら、その男は昔から「動物に好かれる男」として知られていたからだ。

子供の頃から、達也には少し不思議なところがあった。

まだ十歳の頃、家族で山奥の祖父の家に行ったときのこと。ひとりで山に入って迷子になった。怖くて泣きそうになったそのとき、一匹の老犬が現れて、まるで誘導するかのように歩き出した。

達也は老犬の後をついていくうちに、無事に祖父の家の裏手にたどり着いた。

家に戻ると、誰もその犬を見たことがないと言う。探してもどこにもいなかった。あれは幻だったのかもしれない。しかし、達也の中では確かなぬくもりとして残っていた。

以来、彼は動物を怖がらなくなった。

むしろ、どんな動物でも自然と近寄ってくるようになった。捨て犬、野良猫、カラス、ヘビまで。すべてが彼のそばに集まり、彼の言葉に耳を傾けるような気がした。

「心で話せば、動物にはちゃんと伝わる」

それが、達也の持論だった。

大人になってからは、町役場に勤めていた。特別目立つこともなく、淡々と事務仕事をこなしていた。だが、動物のこととなると、誰もが彼を頼った。

畑に現れたイノシシをどうにかしてほしいと頼まれたこともある。達也は一人で山に入り、イノシシと向き合った。何を話したかは誰にも教えなかったが、それ以来、そのイノシシは畑を荒らさなくなった。

町で騒ぎになった迷子の犬も、達也が呼びかけるとすぐに走って戻ってきた。

「犬や猫だけじゃないんだな。カラスまで言うこと聞くのは草野さんだけだよ」

「いや、別に命令してるわけじゃない。ただ、ちゃんと目を見て、落ち着いて話すだけさ」

それだけで、通じるのだという。

そんな達也だが、人との関係はうまくいかなかった。

恋人ができたこともある。だが、「もっと積極的に気持ちを伝えてほしい」と言われ、結局は別れてしまった。

言葉で人と向き合うのは、難しかった。

人は笑っていても本心では怒っていたり、言葉とは違う感情を持っていたりする。動物のほうが、ずっと素直だ。悲しいときは悲しい目をして、怒っているときは牙をむく。

だから、彼はいつしか人よりも動物に囲まれた暮らしを選んだ。

ある冬の日のことだった。

町に一人の少女が迷い込んできた。

小学二年生くらい。汚れた服に、擦りむいた膝。名前を聞いても答えず、じっと地面を見つめているだけ。町の人たちは心配して役場や警察に連絡したが、少女は誰にも心を開かなかった。

その日、たまたま達也が野菜の差し入れを持って町民センターに来ていた。

廊下を歩いていると、目の前にその少女がいた。達也の肩には、いつものように黒猫の「ミヨ」が乗っていた。

すると、ミヨがひらりと肩から降りて、少女の足元にすり寄った。

少女は驚き、少し戸惑った顔をした。

だが、数秒後、小さな手でそっとミヨを抱き上げた。

「…この子、名前あるの?」

それが、少女の最初の言葉だった。

「あるよ。『ミヨ』って言うんだ」

少女は、ほんの少しだけ笑った。

その日から、少女は達也の家に通うようになった。

家では、猫や犬、キツネたちと遊び、フクロウに話しかけ、静かに笑っていた。

言葉は少なかったが、心は開いていた。

「動物って、怖くないんだね」

「そうだね。動物は、ちゃんと目を見て、心で話せば、怖くない」

少女は保護され、数週間後に家族のもとへ戻された。家庭内の事情で一時的に家出していたことが分かり、保護者の対応のもとで再び暮らし始めた。

それから、達也の家に一通の手紙が届いた。

「ミヨに会いたいな。動物といると、安心するってこと、草野さんが教えてくれたんだよ」

その手紙は、今も彼の机の引き出しにしまってある。

今でも、達也の家には動物が集まる。

誰が呼んだわけでもない。

新しくやって来た茶トラの子猫は、達也の靴の上で眠り、キツネは彼の隣で昼寝をする。

誰も彼も、言葉を使わない。

だけど確かに、心は通っている。

町の子どもたちが学校帰りにふらりと立ち寄ることもある。動物に囲まれた家の空気に触れるだけで、どこか安心するらしい。

そして大人たちも、心に余裕がなくなったとき、ふと足を運ぶ。

達也は多くを語らない。ただ、静かにお茶を淹れ、隣に動物が座っている。

それだけで、人は癒やされて帰っていく。

言葉で慰めることはできなくても、静かに寄り添うことはできる。

達也は、今日もそうして生きている。

「動物に愛された男」は、ただ優しく、ただ静かに、世界と心を通わせながら

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