旦那が私より家事や育児が上手くて嬉しいけどへこむ

育児

結婚して五年目。私は三十歳の主婦で、夫と二歳になる娘と三人で暮らしている。

結婚するまでは、家事も育児も「なんとかなるだろう」と思っていた。昔から母が完璧な主婦で、料理も掃除も育児も当たり前のようにこなしていたから、私も自然にできるようになると、どこかで信じていたのだ。

でも現実は違った。

私は不器用だった。レシピ通りに作ってもなぜか味が決まらない。洗濯物を干し忘れて、気づけば洗濯機の中で半日放置なんて日もある。育児にしても、夜泣きに疲れ果てていると、夫がすっと起きて娘を抱き上げ、「大丈夫、大丈夫」と優しくあやして寝かしつける。

そんな夫の姿を見て、正直、最初は助かったと思った。

でも、徐々に私は“負けた”気がしてきた。

「今日の晩ご飯、どうだった?」

「うん、美味しかったよ。でも、昨日のパパのチャーハンの方が好きかな〜!」

そんな風に娘に言われて、思わず苦笑い。夫の方が料理も上手いなんて、どういうこと?

夫の名前は涼。大学時代のサークルで出会い、優しくて穏やかなところに惹かれて付き合い、二年後に結婚した。共働きだったけど、妊娠をきっかけに私は退職。専業主婦として家事と育児に専念することにした。

一方の涼は、在宅勤務が多くなり、平日でも家にいる時間が増えた。それがきっかけで、彼はどんどん家事にも育児にも参加するようになった。

いや、“参加”なんて言葉じゃ足りない。

涼は完璧だった。

ご飯は冷蔵庫の残り物でサッと作る。掃除も時間を見つけて隅々までこなす。娘のイヤイヤ期にも根気よく付き合い、「こうすれば落ち着くかも」なんて提案までしてくる。

ある日、私は耐えきれず言ってしまった。

「なんか……私、いらない気がする」

涼は驚いた顔をして、私を見た。

「どうしてそう思うの?」

「だって、家事も育児もあなたの方が上手だし……私、何の役にも立ってないみたい」

思っていたよりも、言葉にしたら涙が止まらなくなった。涼はしばらく黙っていたけれど、私の隣に座って、そっと肩を抱いてくれた。

「それは違うよ。俺は、ただやれることをやってるだけ。でも、娘にとって“ママ”は世界で一人だし、俺も家に帰ってきたときに、君がいるだけでホッとする。上手いとか下手とか、そういうことじゃないんだよ」

そう言われても、気持ちはすぐには晴れなかった。

次の日も、その次の日も、どこか気持ちが沈んでいた。娘に「ママ、だっこー!」と抱きつかれても、「パパがいい〜!」とすぐに乗り換えられると、またへこむ。

涼がいるから家庭がうまく回ってる。

それは確かに、ありがたいことだ。

だけど、心のどこかで「私が妻で、母なのに」って、思ってしまう。

私はもっと、しっかりしなきゃ。

料理だって、掃除だって、育児だって——負けてたまるか!

そう思った私は、一念発起して“主婦力向上計画”を立てた。

まずは料理。YouTubeで料理研究家の動画を片っ端から見て、毎日一品は新しいレシピに挑戦。

掃除も、ネットで「ズボラ主婦でも続く掃除術」を検索して、朝のルーティンを組んだ。

育児本も何冊か読み直して、「イヤイヤ期は、心の成長の証です」なんて言葉にうなずきながら、娘のわがままにも余裕を持って接するように心がけた。

でも、なかなかうまくいかない。

料理は焦がすし、掃除も気づけば涼がやり直してるし、娘のイヤイヤにはつい怒鳴りそうになる。

そのたびに、涼は「大丈夫、大丈夫」と笑ってくれる。

その優しさが、また胸に刺さる。

私は——どうしたら、“自信”を持てるのだろう。

ある朝、私はキッチンで焦げた玉子焼きを見つめていた。

娘の弁当用にと早起きして作ったはずが、ちょっと目を離したすきにこの有様。どうして私は、こんなにも不器用なんだろう。気づけばため息ばかりが増えていた。

そのとき、背後からひょっこり顔をのぞかせたのは、夫の涼。

「うわ、芸術的だねぇ」と笑いながら、焦げた玉子焼きをつまみ食いして、「うん、香ばしくて悪くない」とニヤリ。

私は思わず笑ってしまった。

「なんでそんなにポジティブなの?」

「君が作ってくれたってだけで、俺は嬉しいから」

その一言に、また少し胸がチクリと痛む。涼は本当に、文句一つ言わない。私がミスしても、抜けていても、いつだって支えてくれる。……なのに、私は勝手に落ち込んで、勝手に比べて、勝手に自信を失っていた。

「ごめんね、私、最近ずっとピリピリしてたよね」

「うん、ちょっとね。でも、それだけ頑張ってるってことだよ」

涼は笑って、娘の弁当箱を手に取った。「これ、盛り付け俺がやってもいい?」と聞かれて、私は「お願い」と素直に頼んだ。

たしかに、夫の方が上手い。認めたくないけど、それは事実だ。でも、それを悔しく思って落ち込んでいるだけじゃ、私は何も変われない。

その日、娘が帰ってくるなりこう言った。

「ママ〜!今日のお弁当、ハートのにんじん入ってたー!可愛かった!パパと一緒につくったの?」

私は思わず「うん」とうなずいた。でも、正確には、にんじんを切ったのは私で、ハートの型で抜いたのも私。盛り付けを手伝ったのが涼だった。

あれ……よく考えたら、私もちゃんと“やってた”じゃん。

そう思った瞬間、ちょっとだけ胸が温かくなった。

“完璧じゃなくていい。”

“上手じゃなくてもいい。”

私は私なりに、家族のために頑張ってる。

そこから私は、自分なりのやり方で家事と育児に向き合っていくことにした。

完璧を目指すのをやめて、「楽しむ」ことを意識するようになった。

娘と一緒にパンケーキを焼いたり、ぬいぐるみと一緒に洗濯物をたたんだり。涼が家事をする横で、「それ何?どうやってるの?」と興味を持って教わるようにもなった。

そうしているうちに、私はふと気づいた。

——涼もまた、私を見て真似してたんだ。

例えば、娘が風邪をひいたときの対処。病院に連れて行って、薬を飲ませて、布団をかけ直して。涼が当たり前のようにやっているけれど、最初にそれをやったのは私だった。

涼の家事スキルだって、最初から完璧だったわけじゃない。

たくさん試して、失敗して、私に聞いて、二人でやってきた結果だ。

そして何より、私が“家族を大切にしていること”を、涼はちゃんと見てくれていた。

それが、夫婦で家事も育児も分担し合える関係につながったんだ。

ある夜、娘が寝静まった後、涼と二人でコーヒーを飲んでいたとき、私は勇気を出して聞いてみた。

「私さ、最近やっとちょっとだけ自信ついてきたかも」

「お、それはいいね。何がきっかけ?」

「うーん……負けを認めたことかな」

「え、俺に負けたの?」

「うん。最初は悔しかった。でも、比べてもしょうがないって思えたら、楽になった。今は、あなたが上手いことが嬉しいって思える」

涼は少し照れくさそうに笑って、「俺も、君の頑張りを見てると、ちゃんとしなきゃって思えるよ」と言った。

私たちは、お互いに影響し合ってる。

だからこそ、“どっちが上”なんて考えること自体が、意味のないことだったんだ。

次の日の朝。

私はまた焦げ気味の玉子焼きを焼きながら、娘と笑っていた。

涼がキッチンにやってきて「今日は手伝わなくて大丈夫?」と聞いたとき、私は胸を張ってこう言った。

「大丈夫。これ、私の仕事だから」

たとえ不器用でも、下手でも、私は“家族のママ”で、“この家の妻”なんだ。

それだけで、十分すぎるくらいの意味がある。

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