嫌いだった人を好きになった話

恋愛

高校2年の春、クラス替えで一緒になった佐伯とは、最初から馬が合わなかった。

「なにその話し方、バカっぽくね?」

「その服、どこで買ったの?昭和感すごいんだけど」

初対面からこの調子だった。いちいち口にしなくていいことを言う。空気を読まない。人の気持ちを考えない。周囲は「佐伯はサバサバしてるだけだよ」とか「根はいいやつだよ」とかフォローするけど、私はそう思えなかった。

私は地味でおとなしい性格だった。目立つのが苦手で、友達とも静かに過ごすのが好きだった。だから、言いたいことをズバズバ言う佐伯の存在は、私にとってストレスでしかなかった。

授業中も、先生の話を遮って意見を言ったり、課題を面倒くさそうにこなしたり。グループワークで一緒になったときは最悪だった。

「こういうの、意味ある?てか、もっと効率よくやれば?」

そのときも私は何も言えず、ただイライラを溜め込んでいた。顔に出ていたと思う。でも佐伯は気にも留めない。むしろ「つまんなそうな顔してんね」と笑ってくる。

毎日が、小さなストレスの積み重ねだった。

ある日、放課後に提出物を出しに職員室に行った帰り、校門の前で佐伯がしゃがみ込んでるのを見かけた。普段なら無視して通り過ぎるところだけど、あまりに様子が変だった。

「……大丈夫?」

思わず声をかけた自分に驚いた。佐伯は顔を上げた。泣いていた。

「……あ、あんたか」

それだけ言って、また黙った。普段の強気な彼女と全然違う。私が戸惑っていると、ポツリと彼女が言った。

「ばあちゃんが倒れたんだって。今、親から連絡あってさ。病院行く前にちょっと落ち着きたくて」

そのまま、佐伯はぽつぽつと話し始めた。

小さい頃から育ててくれた祖母が、自分の母親よりも大事だったこと。親が共働きで、ほとんどの時間を祖母と過ごしていたこと。人前では絶対泣かないと決めていたのに、今日は無理だったこと。

私はただ、黙って聞いていた。何か気の利いたことを言う自信もなかった。ただ、佐伯がそんなふうに弱さを見せてくれたことが、妙に胸に響いた。

それから少しずつ、佐伯の見え方が変わってきた。

ある日、私が学校にノートを忘れて困っていたとき、佐伯がさっと自分のノートを貸してくれた。

「ほら、あんた真面目にやってんだから、こういうときぐらい頼りなよ」

ぶっきらぼうな言い方だったけど、なんだか嬉しかった。

授業中に笑わせてくるクセも、前は鬱陶しいと思っていたけど、今はクスッと笑えるようになった。

廊下ですれ違うたびに、意味のない会話を仕掛けてくる。最初は嫌がらせかと思ったけど、どうやらそれが佐伯なりの「仲良くしたい」サインだったらしい。

そんなある日、クラスで文化祭の出し物を決める話し合いがあった。意見がまとまらず空気が重くなっていたとき、佐伯が手を挙げた。

「うちら、演劇やろうよ。どうせならバカみたいに全力でやって、最高の思い出にしよ」

一瞬シーンとした教室に、彼女の声だけが響いた。誰かが笑い出し、次第に拍手が起きた。

そのとき私は思った。ああ、この人は、本当にまっすぐなんだな、と。思ってることを隠さない。裏表がない。だから、誤解されやすい。でも、それが彼女の強さでもあった。

私は知らなかった。人を「嫌い」だと決めつけていた自分の視野の狭さに気づかされるなんて。

文化祭の準備が始まり、クラスは少しずつ一つになっていった。

演劇なんて誰もやったことがなかったけど、佐伯はなぜかやたらと熱心だった。脚本会議にも積極的に参加して、セリフの言い回しにまでこだわる。

「どうせやるなら本気でやんないと、つまんないでしょ」

その言葉に、誰も何も言えなくなる。私も同じだった。彼女のまっすぐな目を見ていると、文句のつけようがなかった。

私は衣装係になった。人前に出るのは苦手だったから、裏方の方が性に合っていた。ある日、教室で裁縫をしていると、佐伯がひょっこり現れた。

「手伝おうか?」

「えっ?……いいよ、自分でやるから」

「不器用だけど、手伝いたいって気持ちはあるんだよ?」

笑いながら、佐伯は私の隣に座って針を手に取った。案の定、指を刺して「いてっ!」と声を上げる。それを見て、私は思わず笑ってしまった。

「無理しなくていいって言ったじゃん」

「だって、ちょっとでも一緒にいたいなーって思ってさ」

一瞬、耳が赤くなるのを感じた。佐伯の顔を見ると、目をそらしていた。冗談なのか本気なのか分からなかったけど、その言葉がずっと胸に残った。

文化祭当日、クラスの出し物は大成功だった。客席の笑い声や拍手に包まれて、みんなの顔が輝いていた。

佐伯は主役を演じた。舞台の上で、堂々とセリフを言い、笑いを取り、最後には観客を泣かせた。舞台袖で見ていた私は、胸がいっぱいになった。

「すごいね、佐伯」

終演後、舞台裏で声をかけると、彼女はちょっと照れくさそうに笑った。

「でしょ? てか、今日くらい名前で呼びなよ。“佐伯”って他人行儀じゃん」

私は少し考えてから、小さくつぶやいた。

「……ゆうな」

「え?」

「佐伯じゃなくて、ゆうなって呼べばいいんでしょ?」

その瞬間、彼女の顔が真っ赤になった。いつものように強気な返しをするかと思ったら、うつむいて「……あんた、反則だよ」と小さくつぶやいた。

文化祭が終わり、学校も普段通りの毎日に戻った。

それでも、私と佐伯――いや、ゆうなの距離は確実に近づいていた。朝、一緒に登校するようになった。昼休みに隣に座って弁当を食べるようになった。帰り道にコンビニに寄って、お菓子を買って分け合うようになった。

一緒にいる時間が増えるほど、彼女のことをもっと知りたくなった。

強気でおちゃらけた仮面の裏にある、繊細で優しい心。

みんなが見てるのは表面だけ。私だけが知っている、彼女の本当の姿。

それが少しだけ、誇らしかった。

ある日、秋の冷たい風が吹き始めた放課後、校舎裏のベンチで二人並んで座っていた。

ゆうなが突然言った。

「さ、さっきさ、図書室で見たんだけど……“好き”って、最初は嫌いの裏返しなんだって」

「え?」

「嫌いって思うのって、気になってる証拠なんだって。どうでもいい人には、そもそも感情すら動かないって」

私は何も言えなかった。心臓の鼓動がうるさくて、ゆうなの声が遠くに聞こえた。

「……あたし、最初あんたのこと、正直めっちゃ苦手だった。無口だし、何考えてんのか分かんなかったし。でもさ、ちゃんと向き合ってみたら、全然違った。ちゃんと、あたしのこと見てくれてる人だって分かった」

ゆうなは、私の手の上にそっと手を重ねた。

「好きだよ。嫌いだったけど、今は好き。びっくりするくらい、本気で好き」

私は、黙ったまま彼女の目を見つめた。言葉を探す時間が必要だった。だけど、自然と口が動いていた。

「……私も。最初はすごく苦手だった。でも今は、誰よりも大事だと思ってる」

ゆうなは、まるで信じられないというように目を見開いて、それからパッと笑った。

「やば……両想いってやつじゃん」

「……そうだね」

二人で見上げた空は、夕焼けに染まっていた。

嫌いだったはずの人を、こんなにも好きになるなんて思ってもいなかった。

だけど、今ならはっきり言える。

あの時、目をそらさずに向き合ってよかった。

あの人を、ちゃんと知ろうとしてよかった。

「嫌い」って言葉の裏に、こんなにも温かい気持ちが隠れていたなんて。

タイトルとURLをコピーしました