今野優人29歳。大学を出てから一度も正社員になったことはなく、派遣とアルバイトを渡り歩いていた。実家暮らしで、貯金はほぼゼロ。だが、なぜか彼のSNSにはブランド物の時計や高級レストランの写真が並ぶ。
「見栄ってやつよ。世間に“勝ってる”って思わせたいだけ」
そんな優人の口癖だった。
きっかけは大学時代に付き合っていた彼女だった。裕福な家庭の娘で、持ち物も交友関係も“上の世界”にいた。最初は場違いな自分を恥じていたが、次第に「追いつきたい」「肩を並べたい」と思うようになった。そして、無理を重ねて、カードローンに手を出した。
その彼女には二年で捨てられた。「生活レベルが違いすぎる」というのが別れの理由だった。
それでも、優人は一度覚えた贅沢と、金で作る自信の味を忘れられなかった。以後、手取り15万円の生活でも、月に数回は銀座で食事をし、ブランド品を“買うふり”をしてメルカリで転売するような姑息なこともしていた。
ある日、職場の派遣仲間・佐藤に言われた。
「お前、金どうしてんの? そんな生活、維持できないだろ」
「投資してんだよ。仮想通貨でちょっと儲かってる。ま、タイミング見て売れば、今なら何とかなるし」
半分嘘だった。実際は、仮想通貨の下落で30万円を溶かしたばかり。だが、プライドだけは高かった。貧乏で情けない自分を、誰にも知られたくなかった。
そんなある日、彼の人生を変える“出会い”があった。
「お前、最近元気ないな。ちょっといい話があるんだけど、興味あるか?」
そう声をかけてきたのは、かつての大学の先輩、森田だった。スーツをびしっと着こなし、手首にはロレックス。優人が「憧れる男」のテンプレのような存在だった。
「副業で月30万くらい余裕で稼げる。元手はちょっと要るけど、絶対に損はさせない」
その言葉に、優人の耳がダンボになった。
「なにそれ? 詳しく教えてくださいよ」
森田は、まるで待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑った。
「まあ、簡単に言うと“情報ビジネス”ってやつだな。成功したやつが、ノウハウを教えてる。それを紹介するだけで、紹介料が入る」
優人はすぐに飛びついた。初期費用30万円。今の彼には大金だったが、「これで人生が変わるなら」と、消費者金融から迷わず借りた。
だが、始めてみると、その“情報”はどこにでもある薄っぺらい内容だった。稼げるはずの紹介も、紹介できる人が見つからない。森田に相談すると、こう言われた。
「お前さ、気合いが足りないんだよ。俺なんか最初は100人に声かけて、99人に無視されたぜ? でも、残りの1人が人生を変えてくれるんだよ」
優人は「俺もやればできる」と信じた。というより、信じるしかなかった。
その月の末、リボ払いの請求が届いた。家賃も払っていないのに、引き落とし額は12万円を超えていた。派遣の給料は、まるごと消えていった。
そんな彼に、また新たな“チャンス”が舞い込む。
「FXなら、すぐに取り返せる。俺の友達が教えてくれるって。1日で10万勝つやつもザラにいる」
それは、もはや詐欺まがいの誘いだった。だが、優人はもう、自分の足で現実を見る勇気がなかった。
優人は再び金を借りた。すでに三社目。限度額ぎりぎりの30万円をFX口座に入れ、スマホ片手にトレードを始めた。最初の1時間で5万円勝った。
「これだ……! 俺は、やっと勝てる側になったんだ!」
だが、翌朝には10万円を失い、その次の日には残高ゼロ。慣れない専門用語、乱高下するチャート、止まらない焦りと後悔。
「なぜ……俺だけ、いつもこうなんだ……」
気づけば、借金は総額120万円を超えていた。支払いは滞り、督促の電話が1日に何度も鳴るようになった。母親にバレたのは、その電話に彼女が出た時だった。
「……優人、なにこれ。借金って、どういうこと?」
優人は何も言えなかった。ただうつむき、歯を食いしばった。
母は泣いた。小さな町工場でパートをして、コツコツ貯めた老後の貯金を取り崩し、100万円を肩代わりした。
「これで終わりにしなさい。もう、こんなことは……」
彼女の震える声に、優人は深くうなずいた。涙がこぼれた。その時、ほんの少しだけ「生まれ変わろう」と思った。
だが、人間そう簡単には変われない。彼の中にあった“お金で自分を補う癖”は、もう抜けきれない依存になっていた。
ある日、派遣先の工場で新人の女の子が配属された。中村沙耶(なかむら・さや)、26歳。清楚な雰囲気で、控えめに笑う姿に、優人はすぐ惹かれた。
「今日、ちょっと残業きつかったっすね」
「うん……でも、今野さんが隣でフォローしてくれてたから助かった」
そんなやり取りが数日続き、優人は自分が“少しだけ特別な存在”になっている錯覚を持つようになった。ある日、彼女をファミレスに誘った。
沙耶は少し驚きながらも、笑って「いいですよ」と言った。
だが、その日は財布に3,000円しか入っていなかった。クレジットカードも使えない。仕方なく「先にトイレ行ってくる」と言って店を出、近くのATMでリボ払いの限度を上げようとしたが、すでに枠は限界だった。
(ヤバい……どうする? こんなとこで恥かけるかよ……!)
結局、彼は「急に用事思い出した」と嘘をつき、沙耶にコーヒー代だけ渡して店を出た。
その後、彼女からの連絡はなかった。
「結局、金がなきゃ誰にも相手にされない……。人間なんて、そんなもんなんだよ……」
優人は自嘲しながら、再びネットで「即日融資」「ブラックOK」のワードを検索していた。
そして、彼はとうとう“最後の扉”を開いた。
それは闇金だった。
「30貸して、40返す。期限は1週間。延滞すれば1日ごとに1万上乗せ。いいな?」
電話口の男の声は低く、冷たかった。だが、優人は頷いた。いや、頷くしかなかった。
1週間後、返済できず、督促が実家に届いた。妹の結婚資金を預かっていた母親の口座から、勝手に20万円を引き出したこともバレた。
「もう……出てって。私たち、あんたの人生に巻き込まれたくない」
母の言葉に、優人は一言も返せなかった。
それから数日後、優人はネットカフェに住み始めた。保証人もなく、職もなく、再起の道も見えないまま。
ある夜、ふとSNSを開くと、かつての大学の同級生が結婚した投稿が流れてきた。笑顔の写真、高級な式場、美しいドレス。
(俺は何をしてきたんだろうな……)
スマホを握り締めた手が震えた。自分も、あの頃、夢があったはずだ。普通に働いて、恋をして、家庭を築いて。そんな人生も描いていたはずだった。
だが、彼はお金で“足りない何か”を埋めようとした。それが、自分を壊していった。
翌朝、優人はハローワークにいた。紙切れのような履歴書を、受付の女性に差し出した。過去は消せない。けれど、未来は、これからだ。
そう信じたいと思った。