空き缶からはじまる未来

仕事

空き缶を拾い始めたのは、小学二年生の冬だった。

 母はスーパーのレジ打ちを掛け持ちし、父は建設現場で働いていたが、収入は決して安定していなかった。冬のボーナスが少なかった年、母は台所でため息をつきながら、僕に声をかけた。

「カズ、放課後に少しだけお手伝いしてくれない?お駄賃あげるから」

 差し出されたのは、スーパーのビニール袋。何が入っているのかと思ったら、手袋とゴム製のトングが入っていた。

「これで、空き缶拾ってきて。リサイクルでちょっとはお金になるのよ」

 その日から、僕は“空き缶拾いの少年”になった。

 放課後になるとランドセルを置き、手袋とトング、ビニール袋を持って公園や駅の周りを歩いた。最初は恥ずかしくて、顔を下に向けていた。誰かに見られたらどうしよう。クラスメイトにバレたらきっとからかわれる。けれど、そんな僕を一人のおばあさんが呼び止めた。

「あんた、偉いねぇ。お母さんの手伝いかい?」

 うなずくと、そのおばあさんは笑顔でお茶の缶を渡してくれた。

「これも持っていきな。ほら、潰せば軽いから」

 その小さな優しさに、僕の中の恥ずかしさが少し消えた。

 集めた空き缶は、近所のリサイクル業者に持ち込んだ。1キロあたり50円程度。たくさん集めた日は、数百円になることもあった。母はそれをすごく喜んでくれて、僕にも「ありがとうね」とジュースやお菓子を買ってくれた。誰かの役に立てている、という気持ちは、思っていた以上に嬉しかった。

 やがて、僕は空き缶の拾い方に工夫を凝らすようになった。

 月曜の朝は公園が狙い目、金曜の夕方はコンビニ前に人が多い──曜日や時間帯で回るルートを変えた。中学生になると、自転車の後ろにカゴをつけ、移動範囲を広げた。空き缶だけでなく、ペットボトルや新聞紙、段ボールも対象になり、近所のおばちゃんたちに「これも持ってって」と手渡されることも増えていった。

 とはいえ、そんな活動を友達に話すことはなかった。部活帰りに「ちょっと寄り道する」とだけ言って、誰にも見つからないようにこっそりやっていた。どこかで、「こんなの仕事じゃない」「いつかちゃんとした仕事につかなきゃ」と思っていた。

 でも──それは、高校一年の冬、ある男との出会いによって大きく変わることになる。

 その日、商店街の掲示板でふと目にしたチラシ。『若者向けエコ起業セミナー』と書かれていた。しかも無料だった。

 「起業とか大げさだな」と思いつつも、“エコ”という言葉に惹かれて参加してみることにした。

 会場は商工会議所の小さな会議室。参加者は10人ほどで、ほとんどが大学生や社会人だった。その中で講師として登場したのが、山本誠司という30代の男性だった。ジーンズにジャケットというラフな格好で、でもどこか堂々としていて、話し方には自信と情熱があった。

「ゴミってね、実は資源なんですよ。ただ、それを知らないだけ。目を向ければ、お金になるものはそこら中に落ちてる」

 その一言が、僕の心を撃ち抜いた。

 彼の話を聞くうちに、自分がやってきた“空き缶拾い”が、実は立派な価値を生み出していたんじゃないか、と思い始めた。

 山本さんは、再生資源を使った商品の開発や、リサイクルをテーマにした教育事業をしている起業家だった。かつては自分も、僕と同じように空き缶を拾っていたという。

「誰かの見捨てたものに価値を与える。それが、俺の仕事だよ」

 セミナーが終わったあと、僕は勇気を出して山本さんに声をかけた。

「僕も、昔から空き缶拾ってて……こういうこと、仕事にできるんでしょうか?」

 山本さんはにやっと笑って言った。

「できるよ。でも、“拾う”だけじゃダメ。“考える”ことが大事だ」

 その日から、僕の中で何かが変わり始めた。

セミナーから帰った夜、僕は布団の中でずっと考えていた。

 「拾うだけじゃダメ。“考える”ことが大事だ」

 山本さんのその言葉が、頭の中をぐるぐる回っていた。

 僕は次の日から、これまで拾ってきた空き缶や段ボールの“先”について調べ始めた。リサイクル業者に渡したあとの流れ、どんな素材がどう再利用されるのか。そして、世界中の“ゴミ問題”がどれほど深刻かということも初めて知った。

 たとえば、空き缶ひとつリサイクルするだけで、電力や資源の消費を大幅に抑えられる。でも、分別がされていなかったり、油で汚れていたりすると再利用できなくなる。つまり、「ちゃんと拾って、ちゃんと仕分けること」が、社会を助ける一歩になるのだとわかった。

 そんな気づきが積もっていくと、もう“恥ずかしい”なんて感情は消えていた。

 それどころか、僕はリサイクルを「仕組み」として仕事にできないかと本気で考え始めた。

 高校を卒業したあと、僕は大学に行く選択はせず、アルバイトで資金を貯めながら地元の商店街の空き物件を借りた。築40年の古いガレージ。でも、僕にとっては夢のスタート地点だった。

 そこに、町の人が資源ごみを気軽に持ち込める回収拠点をつくった。

 名前は『Re:Boy(リ・ボーイ)』──リサイクルと、少年時代からの再出発を意味した。

 ただ集めて売るだけじゃなかった。僕は「分別をわかりやすく」「誰でも気軽に協力できる」仕組みにしたかった。そのため、看板や仕分けエリアはすべて手作り。子どもが読んでもわかるイラスト付きのルール表も掲示した。

 すると、近所の人たちが少しずつやってきてくれた。

「ウチの段ボール、毎週出してもいい?」

「子どもと一緒に持ってきたのよ。勉強になると思って」

 誰かが立ち寄り、会話が生まれ、資源が集まり、それが少しずつお金になっていく。月に数万円の売り上げしかなかったけれど、僕にとっては“自分で動かしている仕事”だった。

 あるとき、小学校から「リサイクルについて授業をしてくれないか」と声がかかった。

 「空き缶拾いの話をしてくれたら、子どもたちも関心を持つと思うんです」と先生は言った。

 僕は少し緊張しながら教室に立ち、かつての自分と同じような年齢の子どもたちに向けて話した。

「僕も、小学生のときにお母さんの手伝いで空き缶を拾っていました。最初は恥ずかしかったけど、今ではそれが仕事になっています」

 子どもたちのキラキラした目を見て、僕は心の中で思った。

 “あの頃の自分に聞かせてやりたい”

 「ゴミじゃない。君が拾っているのは未来なんだ」って。

 数年後、僕の活動は地元新聞に掲載され、テレビ取材が入った。行政とも連携が進み、廃校になった旧校舎をリノベーションして、資源回収と体験型のエコ学習施設を兼ねた拠点を立ち上げることになった。

 企業からも声がかかるようになり、「廃材を活かした商品開発」や「若者向けエコビジネスのアドバイザー」など、活動の幅はどんどん広がっていった。

 けれど、僕の原点は今も変わらない。

 空き缶とトングを持って歩いた、あの冬の公園。

 おばあさんからもらったお茶の缶。

 母が「ありがとう」と言ってくれた、あの夕方の台所。

 今でも時間があると、自転車に乗って町を回る。ビルの隙間や公園の片隅に、誰かの見逃した“価値”が落ちている。空き缶ひとつ拾うたびに、昔の自分と対話しているような気持ちになる。

 あの頃の僕は、空き缶を拾って小銭を得ていた。

 今の僕は、空き缶を通して「誰かに誇れる生き方」を得た。

 きっとこれからも、僕の仕事は終わらない。

 街のどこかに転がる、もう一つの可能性を見つけるために──。

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