人の愚痴を聞いてるだけでお金持ちになった話

仕事

「ねえ、聞いてよ。うちの上司がさあ……」

それが、すべての始まりだった。

俺は昔から、特別な才能があるわけでもない、ごく平凡な人間だった。学生時代は成績も中の下。部活でもレギュラーになれず、就職も中小企業の営業職。気づけば30歳を超えても、貯金は50万円を超えたことがない。

だが、ひとつだけ、人よりも得意なことがあった。

「聞くこと」だった。

昔から、なぜか人が勝手に俺に話しかけてくる。カフェで本を読んでいれば、隣の席の知らないおじさんが「最近の若者ってさ」と語り始める。会社でも、俺のデスクにはなぜか人が集まり、「ちょっと聞いてよ〜」と愚痴のオンパレード。

最初は正直、うんざりしていた。俺はカウンセラーじゃない。話を聞いても給料は上がらないし、感謝されることすらない。だが、ある日、同期の松田が言った。

「お前さ、聞き方うまいよな。話してると、なんかスッキリするっていうかさ。正直、カウンセラーになった方がいいんじゃね?」

冗談半分だったんだろう。でも、俺には妙に刺さった。

カウンセラーか。俺にできるのか?

その夜、ふと思い立って、スマホで「話し相手 仕事」と検索してみた。すると、「話し相手サービス」なる仕事が存在することを知った。電話越しに、ただ相手の話を聞く。それだけで、1時間3000円、時には5000円以上の報酬が発生するという。

俺は、驚きと同時に、確信した。

「これ……いけるんじゃね?」

もちろん、最初は副業から始めた。名もないアプリに登録し、「愚痴聞きます」「話し相手になります」とプロフィールを整え、待つこと数日。最初の依頼が来たのは、日曜の朝9時だった。

「こんにちは。夫の愚痴を聞いてくれる人を探してました」

50代の主婦らしき声だった。俺は丁寧にあいづちを打ち、ときに相づちを挟みながら、60分間ひたすら聞いた。

話し終わった彼女は、深いため息のあと、こう言った。

「……ありがとう。なんか、こんなに聞いてもらえたの初めてかも」

電話が終わったあと、通知が届いた。「評価:★5、チップ:1000円」

──ただ、聞いただけなのに?

その瞬間、俺の中で何かが弾けた。

それからは、仕事が終わってからの夜や休日、隙間時間をすべて「愚痴聞きサービス」に費やした。客層は驚くほど幅広かった。夫の浮気に悩む主婦、理不尽な上司にうんざりする会社員、学校で居場所をなくした学生……中には毎日のように予約してくる“常連”もいた。

そして気づけば、月の副収入は10万円を超え、半年後には本業の給料を超えていた。

俺は決断した。会社を辞めて、この「聞く仕事」で生きていくと。

周囲は反対した。「そんな仕事、いつまで続くんだ」「話を聞くだけで生活できるわけがない」と。

でも、俺には確信があった。人は誰だって「聞いてほしい」のだと。誰かに受け止めてほしい。でも、家族にも友人にも言えないことがある。そんなとき、“ただ黙って、否定せずに聞いてくれる人”がいることの価値は、思っている以上に大きい。

そう確信し、俺は独自の「話し相手サービス」専用のサイトを立ち上げた。名前は「聞き屋 純一」。顔は出さず、声だけで勝負。プロのカウンセラーではないけれど、「人の愚痴を聞くこと」にかけては、誰にも負けない自信があった。

そして、その判断が、俺の人生を大きく変えることになる

「聞き屋 純一」として独立してから、俺の生活はガラリと変わった。

朝はゆっくり起きて、珈琲を淹れながら予約を確認。1日4件、多くても6件まで。1回のセッションは1時間。愚痴、悩み、誰にも言えない秘密相手の話に耳を傾けながら、心の中に少しずつ“財産”が溜まっていくような感覚があった。

俺は、愚痴に価値があることを知っていた。言葉にできない苦しみを、誰かに話すだけで人は救われる。聞く側にとっても、ただの「雑音」ではない。人の本音が詰まった“宝”なのだ。

やがて、利用者の中に企業関係者が増えてきた。ある日、大手コンサル会社の社員が、こんなことを言った。

「うちの部下が、あなたのセッションを受けてから仕事のパフォーマンスが上がったんですよ。組織全体に導入できませんか?」

それは、個人の愚痴聞き屋から“法人契約”への転換点だった。

俺は中小企業向けに、オンラインでの「社員の愚痴・メンタルケアサービス」を提供し始めた。月額契約制で、社員が匿名で自由に話せる仕組みを構築。すると、次々に企業が興味を示し、契約が増えていった。

気づけば、月収は100万円を超え、年商は1千万円に迫っていた。

だが、金銭的な成功以上に、俺の心を揺さぶった出来事がある。

ある日、1人の常連女性が予約を入れてきた。30代後半のシングルマザー、佐伯さん。いつも子育てと仕事の板挟みに苦しみ、時に涙ながらに話してくれていた。

「私さ、今まで何度も逃げたかった。でも、あんたが毎週聞いてくれるから、なんとか生きてこれたんだよね」

その言葉に、俺は返す言葉が見つからなかった。

誰かの「ただの話し相手」が、人生の支えになることがある。

聞くこと。それは、相手の感情を受け取り、認めてあげる行為だ。正解を出す必要はない。ただ、そこにいて、ちゃんと聞いてあげる。それだけで、誰かの生きる力になる。

俺は次第に、「聞く力」の大切さを世の中にもっと広めたくなった。そこで始めたのが、「聞き方講座」だ。話し方ではなく、“聞き方”を学ぶ講座。最初は数人の受講者しかいなかったが、口コミが広がり、半年後には全国から受講者が集まるようになった。

今では、「聞き屋 純一」は法人向けメンタルサポート事業、個人向けの愚痴聞きサービス、「聞き方講座」の三本柱で構成されている。自宅兼オフィスから始まった小さな事業は、いつの間にかスタッフを抱えるまでに成長し、俺は“社長”と呼ばれる立場になった。

でも、俺は今でも現場に立ち続けている。予約が入れば、電話の前に座り、相手の声に耳を傾ける。

話す側も、聞く側も、人間だ。マニュアルなんて通用しない。その日、その瞬間にしか生まれない「対話」を、俺は何よりも大切にしている。

一度、記者にこう聞かれたことがある。

「あなたは、どうして“聞く”ことにここまで情熱を持てるんですか?」

俺は少しだけ考えて、こう答えた。

「たぶん、俺自身が、ずっと“聞いてほしい人間”だったからですよ」

人は誰だって、心に抱えているものがある。でも、それを誰にも言えずに、押し殺して生きている人がほとんどだ。

そんな人たちの心に、そっと寄り添える存在でいたい。

それが俺の原点であり、今でも変わらぬ信念だ。

そして今日も、スマホに着信がある。

「こんばんは、聞き屋さん……少しだけ、話を聞いてもらってもいいですか?」

俺は深く息を吸って、いつものように優しく答える。

「もちろんです。どうぞ、ゆっくり話してください」

そう、俺は“人の愚痴を聞いてるだけ”でお金持ちになった。でも

俺にとって、この仕事は単なる“稼ぐ手段”なんかじゃない。

人の人生に寄り添う、“生き方”そのものなのだ。

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